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歴史


20世紀


欧州のピアノ製造は、特出した創造性を特徴とします。楽器の奏でる音の質の高さ、そして弾きやすさは、音楽の発達そして作曲家の活動にとり、常に新しい可能性を拓いてきました。

しかしピアノは、天才や作曲家のための道具としてではなく、20世紀初頭以来、一般市民の間でも最も人気の高い楽器でもあります。この裾野の広い人気をベースに、欧州では世界的標準となるピアノ製造技術が発達してきました。そのため、今日でもグランドピアノおよびアップライトピアノの製造業者がドイツピアノ協会を結成し、共同の歴史的なルーツおよび音楽史上の功績を振り返り、現代に至るまで尺度を決めていることは当然といえましょう。当協会の会員の楽器は、西洋バロック時代以後の偉大なる音楽史上に、深い影響を与えているのです。



1900年

ベーゼンドルファー(Bösendorfer)では早くから弦を交叉させた鋳鉄のフレーム、曲面をなす響板、特異なアクションを製造していましたが、世紀末にはフェルッチオ・ブゾーニの提案で、長さ2.9メートル、8オクターブのグランドピアノを作り始めました。このグランドピアノは、世界的に有名になり、21世紀にも、同社の旗艦商品となっています。


Hugo Thürmer
Hugo Thürmer
Ferdinand Thürmer III
Ferdinand Thürmer III
世紀末のテュルマー(Thürmer)はすでに定評のあるピアノ工場です。 創始者の孫であるフェルディナンド三世とフーゴ・テュルマーの社長時代、テュルマーの楽器は多くの賞を受賞します。1905年にはザクセン王国カロラ皇太后、1906年にはザクセン=ワイマール大公、1908年にはヘッセン大公の御用達に任命されます。1909年、フェルディント・テュルマー・ピアノ工場(Ferdinand Thürmer Pianofortefabrik)が75周年を迎えた時点では、すでに1年前からマイセン・チェッラにもうひとつ工場が新設されていました。1946年には、本社拠点地を西ドイツに移転して、五代目が同社の伝統を継承することに成功します。






1903年

Dr. Rudolf Blüthner-Haessler
Rudolf Blüthner-Haessler
1853年に創設されて以来、ユリウス・ブリュートナー社は、50年で非常に大きな企業に成長しました。創設者の息子達、ハインリヒ・ブルーノ、アドルフ・マックス、Dr.ローベルト・ブリュートナーの三兄弟が後を継いだ同社がそれまで販売したピアノの数は五万台。市場は世界全体に拡大されています。1932年、Dr.ルードルフ・ブリュートナー=へスラーがこの役を引き継ぎ、以後イングベルト・ブリュートナー=へスラーの時代になっても、創始者の理念に則った楽器の音色が、同ブランドの特徴として守られす。





1906年

Hans Neupert
Hans Neupert
創始者の三人の息子による集中的な研究開発活動のおかげで、ノイペルト(NEUPERT)のピアノはニュルンベルクの工芸品展でその「優れた美しい音色」を表彰され、黄金国家賞を受賞。また同じ工芸品展で同社は、当時としては革新的な試みとして、自社設計のノイペルト・チェンバロを公開します。その後の数十年間で、弦を使った歴史的な鍵盤楽器がすべて複製されます。創始者の孫、ハンス・ノイペルトの研究と、ノイペルト社の楽器コレクションを模範とするノイペルトの楽器は世界的に有名になりました。







1907年

Burkhard Steingraeber
Burkhard Steingraeber
この年、ジョルジュ・シュタイングレーバーが、チェンバロ職人として、ベルリンへ移住。そのとき、貴重なコレクションを、複数の博物館に寄贈します(ミュンヘン・ドイツ博物館、ミュンヘン市博物館、ビュルッテンベルク国立博物館など)。バイロイトでは、シュタイングレーバー&ゼーネは、同族会社として継承されます。社長にはブルクハルト・シュタイングレーバー、その後は娘のリリー・シュタイングレーバーとその夫のDr.ハインリヒ・ヘルマンが就任します。






1909年

Carl Sauter II
Carl Sauter II
ザウターという名前は、ピアノの世界では、素晴らしい響きをもっています。 カール・ザウター二世の指揮下、シュパイヒンゲンの工場は拡張され、近代的な工法が次々に導入されました。同氏は町工場を本格的な近代的な工場に発展させ、増産を推進します。.

1909年、フェルディント・テュルマー・ピアノ工場が75周年を祝った時点では、すでに1年前からマイセン・チェッラにもうひとつ工場が新設されていました。1946 年には、本社を西ドイツに移転することに成功し、五代目が伝統を継続することに成功します。






Cäsar Förster
Cäsar Förster
フェルスター社(Förster)が創立50周年を迎えます。社長ツェーザー・フェルスターが社長に就任してから12年目のことです。同氏が1900年にドイツ国境に近いボヘミアのゲオルクスワルデに開設した工場は、第二次世界大戦末期にチェコスロバキア政府に没収されました。ツェーザー・フェルスター早世後、同氏の息子たちで天才的ピアノ職人であるゲアハルトと、賢明な商人であるマンフレートが会社を率いることになります。






1912年

1912年に創設されたゲーヴェルスベルクのヴッパー兄弟の会社(Gebr.Wupper) は、その後の数十年でドイツでも有数の伝統を誇るピアノパーツを製造業者として発展していきました。


1915年

2. Generation (Jan, Antonín und Vladimír Petrof)
Jan, Antonín and Vladimír Petrof

1915 年には、創始者の末子、ヴラジミール・ペトロフが父親の後を継ぎます。その後は、ヴラジミール(写真右)と兄たちのヤンおよびアントニンは、数多くの困難に直面、静かに営業できる時はわずかでした。第一次世界大戦中は、生産が劇的に減り、その後、自動演奏のグランドおよびアップライトピアノの爆発的な普及と、ラジオの導入、1938年にはチェコスロバキアがナチスドイツに従属すると、ついに全くの停止状態に陥ってしまいました。第二次世界大戦は、同国経済活動の完全停止につながりました。その時代にペトロフがこの時期、工場として生き残ることのできた数少ない企業のひとつであることを考慮すると、その経営がいかに優れている会社であったかがうかがい知れます。しかし、最も厳しい時代は、1947年に共産党が政府を形成し、ペトロフ・ピアノ工場を含めたすべての産業を国有化した時に始まりました。共産党に率いられ、工場設備は拡張され、生産台数も増えましたが、同時に楽器の質は低下。1960年代にはすでに、共産主義政府はいずれ終焉を迎えるだろうという見通しはついていました。それでも、何万人もの市民がプラハの町で平和なデモンストレーションを行い、共産党政権の終焉を求める1989年11月まで続きました。ファミリーカンパニー、ペトロフ社長であるスザンナ・ペトロフォバもデモ隊の中のひとりでした。

1923年

Johannes Seiler
Johannes Seiler
ザイラー社では1923年に娘婿のアントン・ザイラー・デュッツが社長に就任、ザイラー社の躍進は続きます。社員430人の同社は「東ドイツ最大のピアノフォルテ工場」と呼ばれ、ザイラー社の楽器を愛用するエンリコ・カルーソ、アルトゥール・ニキシュ、ルッジェーロ・レオンカヴァッロといった世界的声楽家やキャリアを築きました。 ザイラー社は、バイロイト音楽祭でも存在感を示し、世界のコンサートホールに納入しました。 世界経済危機も製造を中断せずに克服。これに対して第二時世界大戦は、ドイツ崩壊とシュレジアからの追放によってリグニッツ工場の閉鎖につながりました。







1925年

マテウス・クラウスは輸送会社クラウス&パープストを創設し、当初は荷物回収や家具輸送に事業を集中。 創始者の死後、1936年に娘婿のルードルフ・ロアバッハーが社長に就任。 1958年から、クラウス&パープスト社は、サービスを拡大、梱包されていない大型楽器の輸送をはじめます。 その後数十年の間にヨーロッパ全域におよぶ物流ネットワークを発達させます。1965年からは、創始者の孫であるゲアハートおよびロルフ・ロアバッハー兄弟が輸送サービスの国際化を進め、特別に困難な物資の輸送に関するサービスの幅を広げます。 アップライトおよびグランドピアノの製造業者や販売業者にとり、同社のサービスはなくてはならないものになります。

1926年

1920年代半ば、ピアノ業界は深刻な経済環境に直面しました。生産台数は激減し、稼働率は数分の一にまで落ち込みました。ルードヴィッヒ・フープフェルト(Ludwig Hupfeld)AGは1926年、チンマーマン兄弟のピアノ工場(Klavierfabrik Gebr. Zimmermann)と合併を余儀なくされました。合併後、社名はライプチガー・ピアノフォルテ&フォノラ・ファブリケン、フープフェルト=ゲブリューダー・チンマーマン(Leipziger Pianoforte & Phonola Fabriken, Hupfeld-Gebr.Zimmermann AG)に変更され、工場はライプチッヒ、アイレンブルク、ドレスデンおよびザイフヘンナースドルフにありました。製品ラインアップには、依然として、ドレスデン工場で製造されるレニッシュ(Rönisch)ブランドのアップライトとグランドピアノも含まれていました。


1929年

1929年、ピアノ製造業者ヨーハン・クリストフ・ノイペルトが始めたコレクションの夢がかないます。ニュルンベルク旧市街にある伝統ある「天秤亭」の建物に、ノイペルト社の歴史的鍵盤楽器約300台のコレクションに、相応の場所を提供する「ノイペルト音楽史博物館」が開館されました。このコレクションは現在は、ニュルンベルクのゲルマン民族博物館で保管されています。

二段に重なった発音機構と二段マニュアルを有するフェルスターの四分音グランドピアノは、ピアノの音域、すなわち西洋音楽の音域を拡張しようとする試みでした。 アロイス・ハーバが四分音への分割を提唱したことが、この新しいグランドピアノの設計のきっかけとなっています。



1935年

Helmut Grotrian-Steinweg
Helmut
Grotrian-Steinweg
Erwin Grotrian-Steinweg
Erwin
Grotrian-Steinweg
ハルツ山の麓ゼーゼンに、グロートリアン・シュタインヴェーク社の原点となるスクウェアピアノが製造されてから百年が過ぎました。 1919年から、創始者一族は、会社の名前を自分達のファミリーネームとして使っています。ヘルムートおよびエルヴィン・グロートリアン=シュタインヴェークは、職人芸と工学を融合させた同社の伝統を非常に大切に育んでいきます。グロートリアン=シュタインヴェーク一族が、ピアノ製造技術を発展させていく最大の動機は、何よりも音楽を愛する心でした。グロートリアン=シュタインヴェーク社で発明されたホモジュナス・サウンドボード(均一性のある響板)は、一枚板のような音が出るにもかかわらず、実は、複数のスプルース板が互いに調和をとりながら反応しあうように、ていねいに組み合わされたものです。


Wilhelm Arno Schimmel
Wilhelm Arno Schimmel
シンメル(Schimmel)では創立50周年記念の年に、アップライトピアノのために、サウンドボディのための直支柱のない新種のフレームの特許申請します。これは20世紀、業界で最も重要な発明だったといえるでしょう。 この先鋭的な設計は、同社がドイツ最大のピアノ製造業者となることを可能にし、欧州ピアノ業界のための模範となりました。アルノ=ヴィルヘルム・シンメルの経営者精神と旺盛な発明力は、1962年にはじめて紹介されたクリスタルピアノのような、当時、奇跡的発明といわれた新製品につながります。息子のニコラウス・シンメルは、これらのアイデアをベースに、世界中の多くの舞台を飾るコンサートツアー向けのグランドピアノを設計しました。ジルベール・ベコー、ウド・ユルゲンス、レニー・クラウヴィッツその他多くのアーティストがこのグランドピアノをコンサートツアーで愛用しています。






Dr. Walter Pfeiffer
Walter Pfeiffer
ワルター・プファイファー博士は、数十年にもわたり、ピアノ製造の科学的側面の研究を続けました。同氏の専門書は、現在のスタンダードになっています。










1947年

Gerhard und Manfred Förster
Gerhard and Manfred Förster
アウグスト・フェルスター(August Förster)社は、創始者の孫、ゲアハルトとマンフレートに率いられ、早くも1947年にはアップライトとグランドピアノの製造再開に成功。マンフレート・フェルスターが1952年に亡くなると、兄のゲアハルトが経営を続けます。しかし、1972年には国有化、1984年には、ドイツピアノ連合、すなわち東ドイツの国営ピアノ製造会社に吸収されてしまいます。しかし、四代目ヴォルフガンク・フェルスターは、会社の名前を東ドイツおよび計画経済崩壊後も、守り続けることができました。.

一方レニッシュ一族は、悲劇的な事件が続き絶えてしまいましたが、そのブランド名は残りました。ドレスデン工場は1945年の空襲で完全に破壊され、ルードヴィッヒ・フープフェルトの私財が1946年に没収されると、ライプチッヒを新しい拠点としてライプチッヒ・ピアノフォルテ工場(Leipziger Pianofortefabrik)と名づけられ再出発を果たします。早くも1948年には、ライプチッヒの春の見本市で、戦後第一号のレニシュ(RÖNISCH)ブランドのピアノが紹介されます。
この第一号により世界に再びレニッシュと名づけられたピアノが誕生します。1967年には、東ドイツのピアノ製造業者が、1989年の共産党政府崩壊まで組織されていたVEBドイツピアノ連合が創設されました。1997年、レニッシュは、シュトゥットガルト近郊のレオンベルク所在のカール・A・プファイファー社に買収され、ライプチッヒ工場も継続されました。
第二次世界大戦後、ドイツでは新組織が必要になります。1947年には、ドイツピアノ製造業界専門協会(Fachverband Deutsche Klavierindustrie)が組成され、多くの音楽教育および社会活動が実現されました。特に、ドイツ音楽学校連盟との密接な協力により成立した青年音楽コンクール、「ユーゲント・ムジツィールト(Jugend musiziert)」やドイツ音楽学校連盟加盟機関における4歳から6歳までの幼児を対象とした音楽早期教育のための金銭的組織的援助制度などが挙げられます。
そのうち、協会も欧州における動向に対応し、連邦ドイツピアノ製造業者協会 「Bundesverband Klavierindustrie e.V.、 (BVK)」に変名。 同時に、ピアノ製造業者だけはなく、本社所在地がドイツ国内または欧州連合内にあり、純粋な家族的な伝統を振り返ることができる限り、ピアノ製造業にかかわりのある限り他業界の企業も加盟可能になりました。



1948年

Hans Sauter
Hans Sauter
ザウター社もゼロからの再出発を余儀なくされました。カール・ザウター二世の死後、1948年に会社社長として就任したのはハンス・ザウターです。再建は、当時全国どこでもそうであったように、遅々としたものでした。しかしそのような時代にも、経験と伝統は換えることのできない貴重な元本となりました。 ハンス・ザウターはしっかりとした目的意識を持って堅実な成長のための土台を築き、会社は20世紀の後半それを糧に成長します。

アルフレート・ヤーンは1948年、ピアノパーツの卸売をはじめましたが、すでにピアノ業界では長年の経験があり、ピアノ業界の復興に貢献しました。グループ・アム・フォルストにある同社を現在率いるのは、ピアノ製造職人の資格をもつユルゲン・ハルケとその息子のアンドレアスで、ピアノのためのパーツ、工具、アクセサリーを、一部は社内で開発し、幅広く取り揃えています。



1950年

Heinrich Schmidt
Heinrich Schmidt
シュタイングレーバー&ゼーネ(Steingräber & Söhne)社では、ハインリヒ・シュミットが伝統を継承します。ファミリー・カンパニーの社長として、戦後の数年間はフュルト所在のグルンディヒ社のラジオのためにケースを製造することによって会社の存続を確保。マグダレーネ・ティームと結婚後、二人はキュンストラーハウス・シュタイングレーバー(「芸術家の家」Künstlerhaus Steingräber)を創設、1960年から1962年にかけては、バイロイトのダムアレー通りに新工場を設立します。1972年、ハインリヒとマグダレーネ・シュミットはこの家族経営の会社の単独株主となります。同時に、1940年以来途絶えていたグランドピアノの製造が再開されます。


1953年

オットー・ホイス(OTTO HEUSS)社の歴史は、創始者オットー・ホイスの家の地下にある5平米の小さな一室で始まりました。彼はここで初めオルガンの鍵盤を作り始めます。次第に社員数を増やし、1965年に独自の工場を建設します。一歩一歩と拡張と建設が続けられ、2000年にはグランドピアノとアップライトピアノ用の鍵盤製造が始まりました。社員も社長もオルガン製造だけではなく、他の鍵盤楽器にも注目します。現在では、シュテファン・オットー・ホイスが率いるオットー・ホイス・オルゲルタイレ(OTTO HEUSS Orgelteile)とオットー・ホイス・クラヴィアトゥーレン(OTTO HEUSS Klaviaturen)は、世界的に信頼性、品質、精度を代表する会社として有名です。


1954年

この会社を新たに創設しなおし、伝統あるシュレジアのブランドを甦らせ、再び欧州最大規模のピアノ工場に拡張したのはシュテッフェン・ザイラーです。命をかけてフレームのモデル、設計図や型紙を西側に持ち出した後、デンマークでザイラーの戦後ピアノのライセンス製造をはじめ、1954年にもう一度会社を創設したのです。1956年には、ドイツでのライセンス製造の技術的な前提を揃え、1961年からフランケン地方キッツィンゲンで独自の工場を開きます。70年代に、ザイラーは特殊木材を使用した伝統様式の楽器の開発を始めます。丁寧に選り抜かれた突板が手間をかけて加工され、匠の手によって様々な飾り模様の寄木細工が生まれます。


1965年

1961年に、予期せずして父をなくしたニコラウス=ヴィルヘルム・シンメルが後を継いだシンメル社は、新社長に率いられ、大きな発展を遂げます。同氏は、一代目と二代目の成功の基盤であった品質とイノベーションという二つの要素を、非常に優秀なマーケッティングと輸出性向と結び付けます。シンメルは、ドイツでは最も成功した西ドイツのピアノメーカーとなり、以来「ドイツで最も多く弾かれているピアノ」になりました。この頃、同社は新しい、近代的な工場に移り、ニコラウス=ヴィルヘルムはドイツにおける音楽早期教育の促進に大きく貢献し、後年ドイツ連邦功労十字章を受章します。


1969年

Car Sauter III
Carl Sauter III
ザウター・ピアノ工房(Pianomanufaktur Sauter)創立から150年が過ぎました。これでザウター社はドイツ最古のピアノ製造業者となりました。ザウター一族の楽器職人たちは、何世代にもわたって、ピアノの発達に貢献し、多くの特許を取得してきました。アップライトピアノでも、グランドピアノに匹敵する連打を可能にするダブルレペティションアクションR2がそのひとつです。ハンス・ザウターが1968年になくなると、兄弟のカール・ザウター三世がその後を継ぎます。

ホルスト・ブルクハルトが創設した会社は、最初の10年間はオルガン、ギター、楽器のアクセサリーなどに携わっていました。80年代のはじめに、同社はアップライトやグランドピアノのための椅子やベンチ、譜面立てなどの卸売りをはじめました。グローバル化の時代に入り、創始者は豊富なアイデアと、非常に幅の広い品揃えで、販売する商品に世界中で市場ニッチを開拓しています。




1970年

Helmut Pfeiffer
Helmut Pfeiffer
プファイファーのピアノは国内外でその美しい音色、頑強な設計、そして耐久性を高く評価されます。背の高いピアノの流行に対応した122/124号モデルは、1985年パリで「ゴールデネ・シュティムガーベル(黄金の音叉)賞」を受賞。1989年には、191号モデルをもってグランドピアノの生産が再開されます。
 









1981年

パオロ・ファツィオリは1944年、ローマに生まれました。非常に若い頃から大きな音楽才能を発揮し、またピアノに強い関心を抱いていました。ローマ大学で工学学士を取得した後(1971)、パオロ・ファツィオリは、ぺーザロの音楽学校、 コンセルヴァトリオ・G・ロッシーニでセルジオ・カファロに師事、ピアノ科を卒業します。一時は家業を継いだものの、もっぱらグランドピアノを研究、既存の楽器の設計上の特性を分析し、その音響特性を調べました。同時に、この分野の実績ある研究者との交流を深めます。そして、これらの活動に基づき、1981年1月 ファツィオリ・ピアノフォルティ(Fazioli Pianoforti srl)を創立。次第に芸術界でも名が通るようになりました。 アルド・チッコリーニ、アルフレート・ブレンデル、マルタ・アルゲリッヒ、ヴラじみーる・アシュケナージ、ラザール・ベルマン、ニキータ・マガロフ、ミシェル・ベロフ、アニー・フィッシャー、ルイス・ロルティーその他多くの一流アーティストたちがこの新しいグランドピアノで演奏しています。 いくつかの有名なコンサートホールがコンサートグランドピアノ F278を購入します。同時に重要な欧州市場と米国市場への輸出が始まります。大きなコンサートホール用に、もっと音量の大きな、ハーモニーが豊かなピアノを追求し、世界市場で最長のコンサート用グランドピアノが誕生します。1987年、フランソワ・ジョエル・ティオリエがファツィオリの新モデルF308 を、モンファルコーネの市立劇場で、チャイコフスキーの第一、第二ピアノ協奏曲で弾き初めを行いました。

1982年

ヘルムート・アーベルは、20年間ハンマーヘッド製造職人として経験を積んだ後、独立、グランドピアノとアップライトピアノ用のハンマーヘッド製造会社を創立しました。現在フランケンハルトに所在する工場では、近代的な製造技術と高水準の職人技が融合されたハンマーヘッドを製造するほか、世界のピアノ業界および修理業者向けに特殊なアクション部品を製造します。ハンマーヘッドとアクションの修理修繕も同社が得意とする分野です。


1985年

Knut Grotrian-Steinweg
Knut Grotrian-Steinweg
グロートリアン・シュタインヴェーク社の歴史は150年前に始まりました。150年の間には、30もの王侯貴族の御用達として認められていました。ブラウンシュヴァイク市立博物館に特別な古楽器のコレクション贈与も、このように非常に豊かな伝統を背景としています。同社の五代目当主であるクヌート・グロートリアン・シュタインヴェークは、ブラウンシュヴァイク所在のピアノ工房の150周年記念に、このコレクションを一族と会社を代表して寄付したのです。







Nikolaus Wilhelm Schimmel
Nikolaus Wilhelm Schimmel
創立百周年の同年、シンメルは再び業界に先駆け、価格セグメントに合わせて分かれた複数のブランドを使い、すべての価格帯と地域的な好みをカバーします。シンメルというブランドのほか、同社のブランドファミリーには、フランスのプレエル、ガヴォー、エラール、それからベルリンの子会社マイ、スイスのピアノ工場ザベルが含まれています。 ヴィルヘルム・ニコラウス・シンメルは早くから、常に革新を続け、会社を未来に備えます。オーディオフォルテ(AUDIOFORTE)システムのような斬新なアイデアや、有名な科学研究機関であるフラウンホーファー研究所との協力などにより、楽器の改良を続け、1990年半ばから販売されたツウィントーン(TWINTONE)システムのような商品を加え、ラインアップを拡大しています。





ピアノ職人ヴァルター・ヘラーは、1985年、グランドピアノとアップライトピアノの低音弦の製造を始めます。25年後、に製品は素晴らしい評価を得、世界的に輸出されています。


1987年

Steffen Seiler
Steffen Seiler
1987年、ザイラーは世界初の会社として、アコースティック・グランドピアノを完全にMIDI化し、すべての電子化された近代ピアノの元祖を公開します。このグランドピアノは、サイレント機能を搭載し、それがMIDI装置と接続されており、楽器はグランドピアノとしても、マスターキーボードとしても使える、というものでした。本物のグランドピアノのアクションにつながっているので、弾き応えは当然本物。 このマスターキーボード機能のおかげで、舞台裏のコンピュータまたはサウンドモジュールをグランドピアノから制御し、電子音楽のすべての音色を自在に駆使できます。この発明で、ピアニストは自分の演奏を、好きな音で再現することも可能になりました。オリジナルのピアノの音、またはオーケストラによる伴奏つき、あるいはデジタルなコンピューターサウンドなどとの組み合わせが自由自在です。シュテッフェン・ザイラー没後、同社の経営は未亡人のウルズラ・ザイラーが続けています。


1988年

Jan Thürmer
Jan Thürmer
創立150年にして、テュルマーはボッフムに工場を新築します。ヤン・テュルマー社長の企画により、製造拠点であると同時にピアノ博物館、室内管弦楽用音楽ホール、アーテフィストの居住空間すべてを兼ねるセンター的な魅力的な建物を実現しました。








1990年

Ingbert Blüthner-Haessler mit Söhnen Knut (links) und Dr. Christian Blüthner-Haessler
Ingbert Blüthner-Haessler mit Söhnen Knut (links) und Dr. Christian Blüthner-Haessler
イングベルト・ブリュートナー=ヘスラーは、東西ドイツ統合後の1990年、国有化されていたライプチッヒの会社について返還要求を通すことができました。息子でありピアノ製造職のマイスター資格を有するクヌート・ブリュートナー=へスラーが、同社の楽器の設計と開発を引き受けました。1995年以来、Dr.クリスティアン・ブリュートナー=ヘスラーが取締役となり、世界的な営業網およびサービスセンターの拡張の責任者を追っています。









Dr. Georg Pfeiffer
Georg Pfeiffer
カール・A・プファイファー・ピアノ工場(Flügel- und Klavierfabrik Carl A. Pfeiffer)の楽器は、ドイツピアノ業界の有名ブランドのひとつです。1990年、五代目Dr.ゲオルク・プァイファーが同社に入社。1993年には、唯一のバウハウス様式のグランドピアノの復刻版が公開されました。1994年、同社はレオンベルクに移転。










Wolfgang Förster
Wolfgang Förster
ヴォルフガンク・フェルスターは、1966年に叔父が亡くなると、無数の困難に直面しました。しかし、東ドイツ国家により会社をドイツピアノユニオンに強制合併されたにもかかわらず、同ファミリーカンパニーが現在まで続くことが可能になり、レバウの工場で純正のフェルスターピアノが作り続けられたのは、一重に同氏の功績です。ドイツ統合後の1990年、ヴォルフガンク・フェルスターは先祖から継いだ会社を返還されました。ライプチッヒ所在のドイツユニオンから離脱した同社は、再び古い伝統を誇るアウグスト・フェルスター(August Förster GmbH)という社名を復活させました。




B&Kバウムゲルテル社(B. & K. Baumgärtel GmbH)は1990年よりゲラに所在し、ピアノ業界向けに多種多様なパーツ、輸送手段などを提供するほか、低音部用の巻弦の製造、鍵盤の貼り替え、修理などを行っています。.


1991年

Ing. Jan Petrof
Jan Petrof
チェコのヴァツラフ・ハヴェル大統領が1991年、政府による財産没収を撤回する計画を発表したときに、ペトロフ一族は、ピアノ工場返還の可能性に期待します。その一年後、ヤン・ペトロフは、曽祖父が創設したピアノ工場の社長に任命されました。就任早々、ペトロフは社員の職人技と品質意識を世界レベルに引き戻すことに成功します。驚くべき勢いで、同社のピアノは国際競争力を取り戻しました。またヤン・ペトロフは、欧州、アメリカ、そして極東の一部における販売市場開拓に成功しました。しかし、同じ時期、一族の会社私有化を目指す努力は多大な時間を費やしました。 10年間にわたる厳しい交渉の末、政府は固定資産の4%を一族に返還、2001年にはペトロフ家が残りを政府から買い戻すことができました。一族による買収後、スザナ・ペトロフォヴァと妹のイヴァーナ・ペトロフォヴァが会社に戻りました。.


1992年

ノイペルト社は、その140年の歴史過程で、アップライトとグランドピアノの製造工場から、近世のチェンバロなどの歴史的鍵盤楽器を製造する美術工芸工房に変身していきました。四代目ヴォルフ・ディーター・ノイペルトは、世界で最も古い伝統をもつ古楽器製造会社のオーナー社長を務めます。


1993年

Otto Hott
Otto Hott
カール・ザウター三世引退後、国民経済学士のオットー・ホットが株式の過半数を購入します。一族の一員としては、少数株主のウルリヒ・ザウターが会社の取締代理権を有する営業部長として同社に残ります。世界市場での新たな成功と方向転換が始まります。技術革新によりザウターは国際的に超高級ブランドとして確立されます。1996年から国際的に有名なデザイナー、ぺーター・マリーがザウターのためにピアノのデザインに取り組み、デザイナーシリーズを創出します。新しい居住空間に溶け込むようなデザインと、音響文化と居住文化を融合させようという試みは斬新でした。 2011年発行のラリー・ファイン(米国)の「ザ・ピアノブック」では、ザウターの楽器は「ハイエスト・クオリティ(最高品質」のカテゴリーに分類されています。




マイネ・クラヴィアテヒニク(Meyne Klaviertechnik GmbH) 社も百周年記念。ピアノの製造業者と販売店向けに、同社は数多くの部品とアクセサリーを販売しています。


1995年

シュタイングレーバー&ゼーネ・ピアノ工場の歴史は175年、同社はそのうちの140年をバイロイトに所在していました。何よりも音楽祭の町バイロイトを交流の場として生かしてきた同社です。バイロイトのシュタイングレーバー邸は、輝かしいコンサートホールでもあり、芸術家の出会いの場でもあります。シュタイングレーバーでは、車椅子利用者のために、ロッカーバーあるいは背もたれの中に埋め込まれたセンサーにより、電磁気でペダルを動かせるピアノを開発しました。

良質の響板用の木材は、第一級のアップライトおよびグランドピアノの前提条件です。175年前に創立されたシュトルンツ社では、そのことを熟知しノウハウを蓄積してきました。この長い伝統をもつファミリーカンパニーは今では国内外のピアノ製造業者に製品を納めています。



1997年

アップライトもグランドピアノも、何万個もの部品からなりたっています。最も重要な部品は弦をとめ、楽器の調律を可能にするチューニングピンです。超硬度の鉄鋼、特殊なネジきり、そして、絶対的な精度が不可欠です。ユリウス・クリンケ社は、150年前から、このようなチューニングピンをはじめとする多くの金属部品を製造しています。


1998年

ラウクフフ社はその創設から175年の間に、創始者一族により世界的に有名になりました。同社の幅の広いラインアップの中には、オルガン製造のためのパーツおよび半製品製造のほか、アップライトやグランドピアノ用の鍵盤も含まれています。


1999年

Gedenkmünze auf Johann Sebastian Bach aus dem Jahr 2000 (Münzkabinett der Staatlichen Museen zu Berlin, Objektnr. 18217213. Foto: Dirk Sonnenwald.)
ヨーハン・セバスティアン・バッハ死後250周年記念に、ノイペルトはバンベルクにて、新しいコンサート用チェンバロを開発しました。バッハの時代の歴史的な楽器を模範としているボックスタイプのこの楽器は、これまでの通説に反して、最新の科学的研究で判明したというバッハがコンサートのたびに必ず使用していた、とされる16'レジスターのものです。



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